なぜ児童だと問題なの2?
前回のエントリは、物事の関連性が見えている人は欲望の調整コストを低くしようとするから、決まりごとは作る必要はないのだけど、誰もが物事の関連性が見えているわけでないから、そういった場合に発生する欲望の調整コストを下げるために決まりごとが必要だよね、みたいな結論に持っていこうとして道をはずしてしまったという感じ。
その欲望の調整コストを下げる方法ってのがあちきの中で暗黙的にその欲望を発生させないと考えていたわけだけど、そうでない方法もあるのだと気付いたのが今日のエントリ。
圧倒的な力量*1の差がある場合、相手の欲望を力ずくで消滅させるという解決法があるのだということに気付いた。強制や搾取は関連性が見えてないから発生するのでなく、ここら辺の関係から生まれてきているのかもしれない。というかきっとそう。
殺す理由の無人島の例で言うと二人の間に圧倒的な力量*2の差が存在する場合、強者が弱者を殺すという方法が強者にとって一番の低コストとなるわけだ。
え、だから弱者である児童だと問題? いやいや待て待て……
決まりごとは欲望の調整コストを下げるために存在するわけだから、弱者の欲望調整コストを下げるために、強者が強者の欲望調整コストを上げるっておかしくない? それとも何? トータルの欲望調整コストを下げるためとか言いたいの? 何のために……
さらに待って!
この問題、ずっと児童対大人の問題だって思ってたけど、大人対大人の問題なのか!
すみませぬ…… 話が変わるのですけど、なぜ児童だと問題なのは2つに分解できることが分かった。
- 性行為を児童にさせるのが問題
- 児童に性行為を知らしめるのが問題